LGBTQ+に関する認識は当事者と非当事者との間では、まだ隔たりがあります。
隔たりがあると、違和感を感じる当事者の方も少なくありません。
そうした違和感を発信していく事で、認識の違いは少しずつ埋まっていくのではないでしょうか。
今回は実際に私が見たり聞いたりした、LGBTQ+に関する違和感を感じた認識についてお伝えをします。
それと当時に、当事者目線と非当事者目線における認識の違いについても解説します。
併せて読みたい!
【本題に入る前に】私自身の経験談について
私は以前、とあるファッション雑誌を買った事がありました。
その理由は、流行のファッションを勉強して、自分もそうした身だしなみが出来るようになるためでした。
この事を友人に話した際、私はこう言われました。
「えー!意識高いんだね!」
私としては意識向上ではなくあくまで興味本位のつもりだったのですが、言われた時は純粋に嬉しさを感じました。
ただ、この話のように相手が悪意無く、自分の本心とは逆の捉え方をした場合、違和感を感じてしまう方もいるはずです。
私の友人は今までの経験から「自分を含む大多数がやらない取り組みをしている人=意識が高いと言い表せる」と考え、発言したのかもしれません。
この経験談は今回の記事のテーマに通ずるものがあると思ったので、導入として皆様に紹介しました。
次からは、いよいよ本題に入っていきます。
ホノカが違和感を感じた認識①

それは「LGBTQ+に関する活動をしている=意識が高いのでは」というものです。
ここで言う活動とは、例えば大学などのサークルで仲間達とLGBTQ+について一緒に勉強をしたり、当事者向け居場所事業の運営に携わるといった事です。
このテーマについて以下、私が実際に聞いた話を元に考えてみたいと思います。
【テーマ①について】私が実際に聞いた話
私の周囲で、LGBTQ+に関する活動を大学内のサークルを通じて行っている方(以下、Aさんと表記)がいました。
Aさんは、就職活動における面接練習でサークル活動の事を大学側の教員(以下、Bさんと表記)へ話したそうです。
その際、「LGBTQ+に関する活動をしているんだ。意識が高いんだね」とBさんから言われ、Aさんは違和感を感じたと言います。
では、①Bさんがどうして「意識が高いね」と発言したと考えられるのか。
そして②Aさんはどういった認識だったのか。
この2点について、見ていこうと思います。
①Bさんの認識について
BさんはAさんの活動を自分を含めた大多数がやらない凄い事であると認識したから、「意識が高いね」と発言したのではないでしょうか。
このBさんの思考は、誰もやらないような取り組みをしている事を❝意識が高い❞と言い表す世間の風潮のようなものに影響されたのかもしれません。
さらには教育者としてのBさんなりの考えも入ったのではないでしょうか。
それはサークル活動が、就職活動においては企業へのPRポイントになりうるのではないかという事です。
Bさんは、Aさんが企業から高い評価を得るためにサークル活動をしているのではと考えたのかもしれません。
総じて、BさんはAさんの事を高く評価したかったつもりで「意識が高いね」と発言したと思われます。
②Aさんの認識について
Aさんは自分がしている活動を特段凄い事のようには認識していません。
AさんはLGBTQ+に対して自分自身の興味・感心があり、当事者の力になりたいという気持ちがあります。
そしてLGBTQ+の事をもっと多くの人に知ってほしいし、学んでほしいと考えています。
そうする事が、社会から少しずつ当事者に対しての差別や偏見が無くなるきっかけになるかもしれないからです。
Aさんは企業に受かるためにサークル活動をしているというわけではありません。
自分自身が心から「やりたい!」と思っているからこそ、サークル活動を続けています。
こうしたAさんの捉え方はBさんの捉え方とは全く逆であり隔たりがあります。
そのため、Aさんは「意識が高いね」というBさんの発言に違和感を感じてしまったのです。
以上の事から、LGBTQ+に関する取り組みをしている=意識が高い、とは一概に言えないという事が分かりました。
【テーマ①について】まとめ
個々人が何か思いを秘めて取り組んでいる事は、「意識が高い」といった世間で広く使われている表現だけで説明できるものではありません。
今までの人生経験から裏付けられたものやその人なりの思いが反映された伝え方もまたあるはずだからです。
もしも誰かの行い(ジムに行っているとか)について話をする時、「どうして~をやっているの?」というように、理由などを聞いてみるのが良いかもしれません。
自分の言葉を先に投げかけるのではなくて、まずは当人の思いを聞いてみる事。
そうすれば、当人が投げかけられた言葉に対して違和感を抱くという事は少なくなっていくはずです。
皆様もぜひ自分の捉え方だけで物事を判断するのではなく、相手の思いに耳を傾けてみる事を心掛けてみてくださいね。
ポイント
- LGBTQ+に関する取り組みをやっている=意識が高い、と一概に捉えられない。
- 自分の本心とは逆の捉え方をされると、違和感を感じてしまう人もいる。
- 自分の捉え方だけで判断するのではなくて、まずは相手の思いに耳を傾けてみよう。
- 当人には当人なりの思いや考え方・人への伝え方がある。
ホノカが違和感を感じた認識②

それは「LGBTQ+に関する事が世の中に広まったら、多数派(以下、マジョリティと表記)が生きにくくなるのでは?」というものです。
ここで言う「LGBTQ+に関する事が広まる」という事について私自身は、
- 同性婚が法整備化される→法律婚が出来る世の中になる
- 性別重視の社会では無くなる→履歴書などの書類から性別欄が消える
- 「~セクシュアル」というようなLGBTQ+に関する言葉を口に出来る機会が増える
→LGBTQ+に関する話題がオープンになる - 他者のセクシュアリティを誹謗中傷する機会が一切なくなる
という事ではないかと考えました。
テーマ②については、私の知り合いのLGBTQ+に詳しい方(以下、Cさんと表記)から聞いた話が参考になっています。
Cさんによると自身の周りで最近になって、外国人やLGBTQ+に対する差別的な発言が急に増えたそうです。
こうした経験から、Cさんは冒頭のような認識を持ったという事でした。
では、このテーマについて次の項目から考えていきたいと思います。
【テーマ②について】ホノカの考え
あくまで個人的な意見ですが、私は自分達が今まで自然としてきた行いや考えが出来なくなるかもしれないと考えているから、マジョリティが生きづらさを感じるのではないかと考えました。
加えて、「多様性」「ダイバーシティ」といった言葉の押し付けが、さらに認識を強める事へ拍車をかけているのではないでしょうか。
次の項目から、私がどうしてそう思ったのかについて詳しく述べていきたいと思います。
【ホノカの考え①】常識が覆される=生きづらい?
例えば、セクシュアリティを笑いの種にして、周囲を盛り上げたりする事。
当事者の存在を抑圧して、公的なサービスの享受を限定的にしてしまう事。
前者のような行いをしても今までは指摘されなかったのに、誰かから指摘させる可能性があるかもしれない。
後者に関しては、同性婚が法整備化され、同性同士でも結婚が出来るようになる。
こうした自分達が今まで常識と思っていた事が覆される=生きづらくなる、とマジョリティ側で認識されているのではと私は考えています。
【ホノカの考え②】言葉の押し付けは悪循環を生む
「多様性」、「ダイバーシティ」。
そうした聞こえが良い言葉達を「これって、多様性だよね」というようにまるで押し付けのように使ってしまう。
そうすると、マジョリティにもマイノリティにも何1つ良い事が無いように思えてなりません。
マジョリティからすれば、押し付けがましさを感じ、マイノリティをより嫌悪してしまうかもしれません。
マイノリティからすれば押し付けをしているつもりはないのに、そうした印象を持たれてしまう事はとても悲しいです。
【テーマ②について】まとめ
マイナスをゼロにしたい
LGBTQ+が社会に今よりも広まれば❝マイナスがゼロになる❞、という事が起こるのではないでしょうか。
「マイナス」とは同性婚をしたくても出来なかったり、セクシュアリティが原因で差別を受けているという現状です。
またマイナスは「生きづらさ」とも言い換えられるはずです。
そして「ゼロ」とは、同性婚が出来ない人やセクシュアリティが原因で差別を受ける人が文字通り「0」になるという事です。
マジョリティに生きづらさを与えるために、といった事では一切ありません。
マジョリティとLGBTQ+について
社会にLGBTQ+の事が今以上に広まっても、マジョリティが生きづらくなるという事は無いと私は思っています。
むしろ、今よりも他者の事を思いやるにはどうすればいいのかを考えるきっかけになるのではないでしょうか。
先程挙げた「生きづらさ(マイナス)」というのは何も、セクマイの事だけに限った話ではありません。
誰かを馬鹿にして場を盛り上げる風潮など、今の社会で当たり前になっているような事を「生きづらさ(マイナス)」と捉え、疲れてしまっている人もいるかもしれません。
そもそも、セクシュアリティのように自分が大事だと思っている事に他者が安易にズケズケと踏み込んでいい訳ではありません。
いくらそれに名前が無かったり知名度が低かったとしてもです。
またセクマイの事に関係なく、自分の趣味などを馬鹿にされたら不快になる人は多いと思います。
セクシュアリティを馬鹿にする事は、それと同じことです。
だから、セクマイについて考える事が(改めて今まで以上の)他者理解のためのきっかけとなるのがマジョリティにとっての大きなメリットかもしれないと私は考えました。
言葉の押し付けについて
言葉自体を視点を狭めるためのツールとして使ったり、意味を知っているからいつ何時も発言して言い訳ではありません。
言葉を雑に扱うから他者を傷つける事が日常化したり、セクマイに対する差別や偏見が助長されてしまうのではないでしょうか。
場面ごとで言葉を使い分けたり、自分が知っている言葉を他者に押し付けないようにする事。
そうした事が言葉を大切に扱うきっかけとなり、ゆくゆくは差別や偏見を取り除けられるはずです。
ポイント
- LGBTQ+が社会に今よりも広まっても、マジョリティが生きにくくなる事はないと思う。
- 広まる事で❝マイナスがゼロになる❞という変化が起こるのではないか。
- マジョリティにとっては、改めて他者の事を思いやるにはどうすればいいのかを考えるきっかけになるのでは。
- (名称が無い・知名度が低くとも)自分が大事だと思う事に他者が安易に踏み込んでいいという訳では無い。
- 言葉を雑に扱う行為は、他者を傷つけるきっかけになる。
- 場面ごとで言葉を使い分けたり、他者に言葉の押し付けをしなければ、言葉を今よりももっと丁寧に扱えるはず。
最後に
LGBTQ+について、認識の隔たりがあるのはどうしてでしょうか。
それは社会が社会の当たり前に当てはまらないものとどう接すればいいのかがまだ分からないからだと思います。
だからといって、神経を物凄く張り詰めすぎる必要もありません。
こうした認識の隔たりを記事にしているのは、誰かの行いを正すためというような理由ではないです。
❝マイナスをゼロにしたい❞からです。
マイノリティ、そしてマジョリティにもいえる事です。
本来負うはずのない傷を負わないため。
他者理解のきっかけを作るため。
認識の隔たりを埋める事はマイノリティにもマジョリティにもメリットがあります。
改めて言います。
LGBTQ+は社会全体に悪影響を及ぼしたり、当事者ではない人の生き方を否定するものではありません。
誰しもにある、生まれもったものです。
皆様のLGBTQ+への認識にほんの少しでも変化があると、幸いです。