コラム

【號の自己紹介】FtMである私なりのセクシュアリティとの向き合い方

はじめまして。號と申します。この度、2024年12月よりb-LIGHTのライターとして仲間に加わりました。

セクシュアリティはトランスジェンダー(FtM)です。学生時代に性別適合手術を受け、現在は戸籍も男性に変わっています。

今回は、私のこれまでの性別移行の道のりを簡単に振り返りつつ、b-LIGHTに参加するまでの経緯と、これからb-LIGHTでやっていきたいことをお話しできたらと思います。

幼少期 ~今はもういない、いたずら好きな子ども〜

小学生までは、大人の前ではおとなしいけれど、友達の前ではいたずら好きな子どもでした。性別に強い違和感を持つことはなかったのですが、よく男の子に間違われ、そういうときは不思議と嬉しかったのを憶えています。

具体的な違和感を持ち始めたきっかけは、たしか小学校四年生ぐらいの頃でした。図書館で人体の図鑑をみたとき、「自分はこう(大人の男性)なれないのか」とショックを受けたのを憶えています。それから、子どもながら人生に失望したような気持ちになり、幼少期のような明るさはなくなっていきました。性別のことを隠そうとするうちに、本当なら隠さなくてもいい、無邪気な自分の一面も一緒に、心の奥にしまい込んでしまったのかも知れません。

中学校時代のことは、正直あまり記憶にありません。部活もせず、友達も作らず、ただ淡々と授業を受けては帰る日々でした。

高校生 ~大切な親友との出会い、初めてのカミングアウト〜

まるで水のなかにいるような中学生活を過ごした後、高校生活が始まりました。制服はスカートでしたが、その頃には性別に対する違和感に対し、諦めのようなものを抱くようになり、特に抵抗を感じることもありませんでした。
特別楽しい高校生活を送ろうとは思ってはいなかったのですが、入学初日に親友と出会いました。出席番号が近かった五人ほどで自然とグループになり、いつの間にか高校生活はとても楽しく、彩りあるものになっていました。
生涯一緒にいれそうな友達ができ、この子たちといられるなら性別のことは一生隠し通してもいいかなと思っていた私に転機が訪れたのは、高校二年生の初夏でした。

少し遠方でセクシャルマイノリティのオフ会があることを知り、自分でも不思議だったのですが、自然と「行きたいな」と思いました。ずっと気が付かないふりをしていた性別の違和感をもう誤魔化せないと直感した私は、まずは知識を得るべく、図書館でセクシャルマイノリティの書籍を探しました。どのジャンルなのかも分からない、でも誰かにきくのも抵抗がある。結局一時間以上図書館を練り歩き、ようやく見つけた数冊の書籍を、カモフラージュ用の文庫本と一緒に借りて帰りました。一冊は、杉山文野さんの『ダブル・ハッピネス』でした。

オフ会に行きたいと母親に打ち明け、その流れで母にカミングアウトしました。それから母から家族や一部の親戚に伝えてもらい、幸いにも特に反対されることもなく、受け入れてもらえました。この頃から、普段は男子トイレを利用するようになり、また髪は短髪に、胸はバンドで目立たないように潰しと、少しでもパス度を上げる工夫をするようになりました。

また当時の担任であり、部活動の顧問でもあったK先生にも、母から伝えてもらいました。
とても情熱的で明るい女性の先生で、体育の着替えに部室を使えるようにしてくれたり、辛くなるとそれを察して慰めてくれたりと、高校時代は何度も先生に助けられました。また二年生の秋ごろから、女子の制服にスラックスが導入され、スカートを履くこともなくなりました。あれは本当に嬉しかったです。

その次に待っていたのは、親友へのカミングアウトでした。彼女ならきっと大丈夫だという気持ちがある半面、「もし拒絶されたらどうしよう」「一緒にいれなくなったらどうしよう」という不安な気持ちも拭いきれず、結局カミングアウトできたのは、数か月悩んだ後の12月でした。
終業式が近づく冬の朝、彼女にメールで、二人きりで話したいとお願いしました。けれどいざ話そうとすると言葉が出てこず、二時間ほど何も言い出せず。でも彼女は、じっと私の言葉を待っていてくれました。やっと言えたあとはボロボロに泣いたのを憶えています。
それから少しずつ、一生付き合っていきたいと思える友達にカミングアウトをしていき、あの時カミングアウトできた子たちとは、今でも変わらず交流できています。恩師に親友に、後述する進路にと、高校では本当に大きな財産を手に入れることができましたと思っています。

大学生 ~はじまる性別移行、タイへ性別適合手術へ〜

大学は図書館司書の先生の勧めで、芸術系の学部へ進学しました。男子生徒として過ごしたいけれど、ホルモン注射も始める前で声も高ければ、名前は明らかに女性の名前。どうすればいいのか分からずにいましたが、さすがに大学生ともなると、察して深くは追求されなくなりました。ようやくできた男友達にも、カミングアウトらしいカミングアウトはせずに過ごせました。みんなの優しさに甘えてしまいましたが、とてもありがたかったです。

大学一年の冬にホルモン治療が始まり、声も見た目も徐々に変化していきました。大学二年の夏には、国内の病院で胸オペを受けました。髭が生えて、声が変わって、胸がなくなって――徐々に身体が元に戻っていく、あの感覚は今でも忘れられません。同じ頃、戸籍の名前も、高校時代から溜めていた男性名の資料を提出し、正式に変更しました。

大学三年の夏の終わりに、ついに夏休みにタイで性別適合手術を受けました。初めての海外は不安もありましたが、とても濃厚な時間を過ごすことができました。
アテンド会社のスタッフさんのご厚意で、病院やホテルで、同じ会社を利用しているFtMの方々と交流させていただけました。初めて会う自分以外のFtMの方々は、皆さん私より年上の社会人の方ばかりで、未来の自分を見ているようで、とても楽しかったです。連絡先ももうわかりませんが、今でもあのとき出会えた人たちは、同じ時期に同じ場所で、同じ一歩を踏み出した仲間のように思っています。帰国後すぐに役所で手続きを済ませ、無事に男性の戸籍を得ることができました。

現在 ~これからb-LIGHTでやりたいこと〜

現在は、会社にライターとして勤めながら、会社以外でもライティングのお仕事を受けています。プライベートでは、長年お付き合いしていたパートナーと別れ、いまは気ままにひとりで過ごしています。男性への興味もあり、次の恋はどうしようか、仕事の合間に考えたり。齢30にしてまだ自分のセクシュアリティが掴めていない辺り、なんだかなあと思いながらも楽しいです。

セクシャルマイノリティの活動としては、学生時代からイベントボランティアに参加したり、勉強会に参加したりと、興味自体は強く持っていました。ですが当時の「カミングアウトすること/ありのまま生きることは素晴らしい」という価値観を押し付けられるような、そんな風潮に徐々に疑問を感じるようになり、そういった活動からは遠ざかるようになってしまいました

あれから約10年経ち、当たり前に男性として過ごせるようになり、「普通」に埋もれて生きることだってできるようになりました。けれど当事者のために「何かしたいな」という気持ちも確かに自分のなかに残っており、「せっかくならライターとしてできることがないかな」と考えていたとき、b-LIGHTのサイトを見つけました。代表のばんさんは、「カミングアウト」に対する私の考えに共感してくださり、「ここでなら自分の伝えたいことを表現できるかも知れない」と思い、この度参加させていただくことなりました。

日本では、ようやくLGBTQという言葉が世の中に浸透しはじめ、その存在が少しずつ知られるようになってきました。そうなってきたからこそ、私は「カミングアウトすること」が正しいこと、偉いことだと思われる世の中にはなって欲しくないと思います。

もちろん「言いたいけど言えない」人もいるかも知れません。でもきっと同じぐらい、「言わない」ことを自ら選んだ人もいるはずだと私は思います。私も実際、いくつかの職場では「言わない」ことを選択しました。
きっとb-LIGHTを訪れる人のなかには、自分のセクシャリティに迷っている方もいらっしゃると思います。自分のセクシャリティを自覚した先には、きっと遅かれ早かれ「カミングアウト」の壁が待っています。
その壁にぶつかった人に、「カミングアウトすることが正しい」と伝え導くのではなく、その人がどうしたいのか、どの選択をしたいのかを一緒に考え、その選択に寄り添える。そんな手助けをb-LIGHTのなかでしていけたら、私はとても嬉しいです。

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30代のトランスジェンダー(FtM)です。戸籍変更済み。筋トレと映画が好き。
自身の経験や感じたことを発信することが、色々な場所で、色々な環境で今を生きているセクシャルマイノリティの方にとって、少しでも助けになれば嬉しいです。