みなさま、はじめまして。
さきと申します。
タイトルの通り、私は性自認はXジェンダーの中でも無性、性的指向はアセクシュアルです。
当メディア「b‐LIGHT」に参加しようと思ったきっかけは、自分と同じ悩みや苦しみを抱えている方に少しでも寄り添えるような答えを見つけたいと思ったからです。
ニュースなどのメディアではLGBTQや性暴力に関する情報が溢れていますが、正しい情報が浸透しているとは到底言えない状況です。
そんな現状を少しでも打破したいと思い、このメディアに参加しました。よろしくお願いします。
今回は、私がどのような経緯をもってこの心に至ったのかを簡単にご紹介します。
自分の性に違和感を覚え始めたのは22歳
まず前座として、私には発達障害(ADHDとASD)があります。
ダブルマイノリティという用語がありますが、私はこのカテゴリーに属しています。
ダブルマイノリティとは「LGBTQ+〇〇」というふたつのマイノリティ派に属す人々たちを指し、外見では判断しづらいため見えにくい障害とも言われます。
また、私は人より脳の発達がゆっくりなので思春期が来たのも成人後でした。
最初の違和感は、自分の胸でした。
「なぜ私には胸があるのか」「これはいずれなくなるのか」など小学生のような疑問がたくさん浮かび、徐々にその違和感が大きくなっていったのです。
そして大学を卒業した直後、「私は、本当に女なのか?」というひとつの違和感が自分を襲ったのです。
小学生のころからスカートが嫌いでズボンばかり身に着け、無意識に足を開いてしまったりと振り返ると男らしくすることが多かったと気がつきました。
男になりたいわけでもない、かといって女らしくもできない。
こんな中途半端な心の行き先はどこなのだろうと彷徨っていた中で、ある言葉が目に留まりました。
それが「Xジェンダー」でした。
「Xジェンダーって何?」という本を読んでからは、まさに自分そのものだと思いスッとした快感があったのを今でもよく覚えています。
それと同時に丸まった肩にも嫌悪感を抱き始め、「これは自分の体じゃない」と、これまで性別に関してなにも言わなかった心がやっと答えてくれたのです。
1年半かけてトレーニング。すべては自分らしく生きるために
「この体は自分じゃない」と心が答えてからは、翌日から行動を起こしました。
まず、できるだけ豆腐は食べないようにしたのです。
豆腐は一般的に健康的な食べ物ですが、イソフラボンという成分が女性ホルモンの分泌を高めてしまう作用があります。
自分らしくいるためにしたことは、食生活だけではありませんでした。
丸まった肩や大きな胸を少しでも変えようと、Youtubeなどで配信されている動画で宅トレを続け、長い時には1日2時間ほどやっていました。
普段は三日坊主で熱しやすく冷めやすかった自分が、この時だけは「自分らしくなる」為だけに本当にストイックにやっていたな、と今でもあの感覚は覚えています。
その結果、1年半で5㎏の減量に成功しました。
肩や太もも、お尻はワンサイズ小さくなり、胸に関しては2サイズもダウンしました。
私は元々汗をかくのが好きだったこともあり、運動に関してはそこまで抵抗はありませんでした。
それでも、まだ女性らしい体であることは変わらないので今でも努力を続けているところです。
恋愛しなくちゃいけない?私を飾るもうひとつのセクシュアリティ
私自身を語るうえで、外せないのが「アセクシュアル」です。
アセクシュアルとは恋愛感情や性的欲求を抱かないセクシュアリティで、世界人口の1%が該当すると推定されています。
1%というと少なく感じるかもしれませんが、その人口は約7000万人です。
そう考えると少数派だとは感じにくくなるかと思います。
アセクシュアルと一言で表しても、その模様は十人十色です。
私の場合は、恋愛感情そのものが分からなかったり、性行為には強い嫌悪感を抱いてしまいます。
去年NHKで高橋一生さん・岸井ゆきのさんが主演したドラマ「恋せぬふたり」で、アセクシュアルが取り上げられ話題になりました。
また、俳優の中山沙月さんが自身のフォトエッセイでアセクシュアルを公表したことも私にとって大きな励みになったのです。
「自分はひとりではない」という実感がうまれたことで、より自分が描く理想の自分に近づこうと意欲が湧いたのです。
「みんなと同じ」ではなく、なりたい自分を生きて
「みんなちがって、みんないい」という詩人の金子みすゞさんの有名なフレーズがありますが、性別やセクシュアリティに関しても同じことが言えます。
違うセクシュアリティを持つからこそ、それぞれが自分らしく生きられるような社会が必要になってくるのです。
しかし、日本はまだまだ性別に関しては制約が多くジェンダーギャップ指数は先進国の中で最下位と後れを取っているのが現状です。
「こんな自分なんて」と自分を卑下するのではなく、コンプレックスを受け入れて生きていくほうが素敵だと思いませんか?
「みんな同じ」よりも「みんなと違う」人生を私はこれからも生きていきます。