皆様は最近「多様性」という言葉をよく聞くようになったと思いませんか?
セクシュアリティの事が社会にほんの少しずつ浸透していったにつれ、「多様性」という言葉がよく使われるようになりました。
ただ、僕はそんな傾向にちょっとした違和感を抱いています。
今回はそんな僕が感じた違和感について綴ります。
【僕個人が感じた違和感】「セクシュアリティの事をテキトーに理解しているんじゃないのかな」
僕個人は、「多様性多様性」と大々的に言われると、「セクシュアリティの事をただテキトーに理解しているだけじゃないの?」と思います。
理由はセクシュアリティにはその当事者だからこその思いが沢山詰まっていて、「多様性」という言葉では絶対に片づけられないからです。
セクシュアリティは人の数だけ存在しているし、自分が自認しているセクシュアリティにまつわる思いも人によって違います。
その思いというのは言葉にする事も出来ます。
言葉は各々が見たり感じ取った事で大きく変化するため、一言二言では表現が出来ません。
自分が自認しているセクシュアリティにまつわる思いが形成されていった過程にはとても辛く悲しい事もあったかもしれません。
そんな各々の思いが詰まったセクシュアリティの事を「多様性」という言葉だけで理解するのは、セクシュアリティの事をただ何となくテキトーに理解したのと同じです。
だから、僕は「多様性多様性」と大々的に言われる事にとても強い違和感を感じます。
ただ、「多様性」という言葉を使用する頻度が高まっている現状に対して違和感を抱いているのは僕以外にもいると思うのです。
その違和感と言うのは「同調圧力」ではないでしょうか。
多様性=同調圧力
セクシュアリティに興味が無い人へ「多様性を大事にしようね!」と言うのは同調圧力です。
僕は「同調圧力=イジメ=犯罪」だと思います。
当たり前の事を言っているかもしれませんが、僕はイジメられた経験が沢山あるから「同調圧力=イジメ」である事を改めて文字に書き起こしています。
仲間外れだって、例えばある集団のリーダーが「Aを仲間外れにしよう」と言うと、周囲も「集団から外れたくないから」という理由でリーダーに従います。
「多様性を大事にしようね!」も言い換えたら、「周囲へ多様性を大事にしようね!って言えよ」となります。
極論、「多様性」は使い勝手がとっても良い言葉なので、同調圧力を推し進めるのにはもってこいのワードとなります。
価値観の押し付けすぎに要注意
興味・関心が無い人へ自分の価値観を押し付けすぎない事。
それが、同調圧力を無くす1つの方法です。
また僕達はセクシュアリティに関する記事を作成し、SNS上で発信しています。
ただ、色んな人に無理やりにでも記事を読ませようとする事はしません。
自分が持っている価値観にみんながみんな、関心を寄せてくれるとは限りません。
心から興味・関心を持ってくれる人にだけ、話をしていればいい。
逆に興味・関心が無かった側から歩み寄ってくれるのが一番、望ましいです。
終わりに
”正義って言葉はね、やたらと口に出して振りかざすものじゃないのよ………自分の心に大切に強く秘めておくものなのよ………”
この言葉は「名探偵コナン」という作品に登場するキャラクター・佐藤美和子刑事が劇中で言ったセリフです。
僕はこのセリフ、今回の記事のテーマとも関係していると思うのです。
その理由は「多様性」は「正義」と同じ使い勝手の良い言葉だからこそ、あまり口に出して言うものではないからです。
「多様性」という言葉の乱用は周囲へ「はた迷惑」「厚かましい」「同調圧力だ」という悪い印象を与えかねません。
そういった事を防ぐためにも、「多様性」という言葉はあまり口に振りかざすのではなく、自分の心の内に秘めておくのがちょうどいいのではないでしょうか。
またセクシュアリティに興味が無い人へ「多様性」という言葉を押し付けるものでもありません。
この世の中にはセクシュアリティへの興味が一切無い人が必ずいます。
その事を理解するのも「多様性」という言葉の乱用減少に繋がります。
そしてセクシュアリティというのは当事者が大切にしている1つ1つの思いが詰まっています。
だから、セクシュアリティを「多様性」という都合の良い言葉で理解するのではなく、その人だからこその思いを知る事・聞く事がセクシュアリティへの理解へと繋がるのではないでしょうか。
併せて読みたい!
b-LIGHTが大切にしている理念、そして僕達b-LIGHTメンバーの自己紹介記事をここから読む事が出来ます。
僕が記事で何度も言っていた「セクシュアリティには当事者だからこその思いがある」という事を感じ取れる事が出来ると思うので、ぜひ見てみてください!